ようこそ、夢かふぇへ。
導入
ねぇ、
どうしても
名前を思い出せない人がいます。
何十年も前、一緒に働いていた、おばあ様です。毎日のようにお名前を呼んでいたはずなのに、不思議なくらい思い出せません。
でも、そのかたが掛けてくださった言葉は、一つも忘れていません。
「慌てんでええよ。」
「見てる人はちゃんと見てるから。」
「仕事は丁寧にね。」
これまで、たくさんの人と出会ってきました。経営者にも、コンサルタントにも、コーチにも、師匠と呼ばれる方にも出会いました。
それでも、今の私を支えている原点は、そのどなたでもありません。
第1章|近くを選んだ先にあったもの
三十代前半。
小さな子どもを保育園へ預けながら働いていました。
子どもを産んでから二つの会社へ勤めましたが、辞めた理由は仕事ではありません。
会社が遠かったのです。
朝は保育園へ送り、そのまま会社へ向かいます。仕事が終わると時計を見ながら急いで車へ乗り込み、お迎えへ向かう毎日でした。
「もし熱が出たら。」
そのことだけが、いつも頭の片隅にありました。会社が遠ければ、お迎えへ向かう時間も遅くなります。
子どもを待たせてしまう。保育園の先生にも迷惑を掛けてしまう。そう考えるようになり、一つの決断をしました。
子どものそばにいられる働き方を選ぼう。
その時、初めてパートという働き方を選びました。正社員という肩書きより、子どものそばにいられる安心を選んだのです。
そうして見つけたのが、スーパーの近くに建つ、黒っぽいガラス張りの建物でした。
外からは中が見えない、おしゃれなデザインの建物です。縦に並んだガラスが印象的で、当時はとても新しく見えました。
「素敵な会社やな。」
初めて建物を見た時、そう思ったことを今でも覚えています。
裏口から建物へ入り、一階にある作業場で仕事をしていました。窓はありませんでしたが、不思議なくらい明るく、いつもきれいに整えられた部屋でした。
広い作業場には、大きな作業用のテーブルが八台並んでいます。そこで働いておられたのは、四十代から六十代くらいまでの女性ばかりでした。
皆さん品があり、話し方も穏やかです。忙しいはずなのに、職場全体がやさしい空気に包まれていました。それまで勤めてきた会社とは、まるで違う世界でした。
その中に、一人のおばあ様がおられました。最初に目に入ったのは、やさしい笑顔でした。姿勢が美しく、立ち居振る舞いにも品があります。
「素敵な方やな。」
それが、おばあ様への第一印象でした。その日から、おばあ様のそばで仕事を教えていただくことになります。
最初は何も分かりません。
一日でも早く仕事を覚えたい。
迷惑だけは掛けたくない。
そんな思いで、毎日必死でした。焦って失敗することもあります。落ち込んで手が止まる日もありました。
そんな時、おばあ様はいつも笑顔で声を掛けてくださいました。
「慌てんでええよ。」
失敗して肩を落としている時には、
「見てる人はちゃんと見てるから。」
そして最後には、必ずこう続きました。
「仕事は丁寧にね。」
あの頃は、その言葉の意味を深く理解していませんでした。
「丁寧に仕事をしなさい。」
そのくらいの意味だと思っていたのです。
でも、何十年という時間が過ぎた今なら分かります。教えてくださっていたのは、仕事の手順ではありませんでした。
仕事との向き合い方でした。
丁寧に積み重ねること。
目の前のことを大切にすること。
急ぐよりも、整えること。
その姿勢は、言葉ではなく、毎日の仕事を通して背中で伝えてくださいました。あの時は、まだ知りませんでした。
あの一年が、何十年後の今も続く、自分の仕事の土台になっていくことを。
第2章|仕事は、手で覚えた
毎日、おばあ様の隣で仕事をしていました。仕事が始まると、自然と二人で作業を進めます。いつの間にか、それが当たり前になっていました。
職場には、リーダーの中西さんがおられました。責任ある仕事は、いつも中西さんが担当されていました。仕事が早く、とても丁寧。だから皆さんから信頼されていました。
今になって振り返ると、新人だった私がいつもおばあ様の隣で仕事をしていたことは、本当に恵まれた環境だったと思います。
後になって知ったことがあります。
おばあ様も、リーダーの中西さんも、若い頃は第一線で仕事をされていた方でした。今で言えば、バリバリ働くキャリアウーマンです。そのことは、職場の皆さんから教えていただきました。
でも、ご本人たちが昔の話をされることはありませんでした。自慢もしない。武勇伝も語らない。だからこそ、その方たちの生き方は、毎日の仕事にそのまま表れていました。
おばあ様の手を、毎日見ていました。
書類をそろえる手。
確認する手。
相手へ渡す手。
どの動きにも無駄がありません。
急いでいるようには見えないのに、誰よりも仕事が早い。そして、その手は本当に美しかったのです。だから真似をしました。
書類を置く位置。
道具を戻す場所。
相手へ渡す時の向き。
仕事をする順番。
毎日、おばあ様の背中を見ながら覚えていきました。すると、不思議なことが起こりました。丁寧に仕事をすると、間違えません。
間違えないから、やり直しがありません。やり直しがないから、結果として仕事も早くなっていきました。
ある日、
おばあ様が笑顔で言ってくださいました。
「早くて丁寧やね。」
その一言が、本当に嬉しかったのです。
それまで勤めてきた会社は、どこも厳しい職場でした。できて当たり前。注意されることはあっても、褒められることはほとんどありません。
だから、仕事で褒められたのは、この時が初めてだったように思います。嬉しかったのは、褒められたことだけではありませんでした。
ちゃんと見てもらえていた。
そのことが、何より嬉しかったのです。
おばあ様が言われた、
「見てる人はちゃんと見てるから。」
あの言葉は、本当でした。
毎日の小さな積み重ねを、ちゃんと見てくださっていたのです。
しばらくすると、リーダーの中西さんが担当されていた責任ある仕事を、少しずつ任せていただけるようになりました。
最初は驚きました。
「私で大丈夫なんやろうか。」
そんな不安もありました。
でも、それ以上に嬉しかったことを覚えています。信頼されている人の仕事を見て。その人の隣で働いて。少しずつ同じ仕事を任せていただく。
その経験が、大きな自信になりました。
午後になると、少しだけ休憩時間がありました。皆さんは、それぞれ仲の良い方同士で、お茶を飲みながらお菓子を食べておられます。
職場で一番若かった私は、少し居場所が分からないような気持ちでいました。そんな時、いつも横にいてくださったのがおばあ様でした。
「これ、食べ。」
そう言って、お団子やお菓子をそっと分けてくださるのです。
おばあ様は、
大きな声で笑う方ではありませんでした。
「ふふっ。」
そんな上品な笑い方でした。
仕事中も。休憩時間も。
そのやさしさは何一つ変わりませんでした。
今でも思い出すのは、仕事のことだけではありません。お団子をいただきながら、お茶を飲み、おばあ様が「ふふっ」と笑っておられた午後の休憩時間です。
あの時間があったから、職場で一人ぼっちだと感じたことは一度もありませんでした。
今になって思います。
仕事には、その人の生き方がにじみます。
おばあ様も。リーダーの中西さんも。
そして一緒に働いていた皆さんも、
まさにそういう方々でした。
第3章|「早く行きなさい」の一言
働き始めてしばらくした頃のことです。仕事をしていると、会社の方が私のところまで来られました。
「孝子さん、お子さんがお熱やって。」
保育園から会社へ電話が入ったのです。当時、作業場へ携帯電話を持ち込むことはありませんでした。保育園からの連絡は会社へ入り、そのたびに伝えに来てくださっていました。
その言葉を聞いた瞬間、頭の中は真っ白になりました。迎えに行かなければ。でも、まだ仕事が残っています。皆さんに迷惑を掛けてしまう。そんなことばかり考えていました。
ところが、その方はすぐに言われました。
「早く迎えに行ってあげなさい。」
まだ何も言っていません。
「帰ってもいいですか。」
そう聞く前に、帰ることが当たり前になっていたのです。その様子を見ていたおばあ様も、
「早く行きなさい。」
そう声を掛けてくださいました。
すると周りの皆さんも、
「ここは私らがやっとくから。」
笑顔で送り出してくださいました。
誰一人、嫌な顔をする人はいませんでした。
何度も頭を下げながら、会社を飛び出したことを覚えています。
あの頃、小さな子どもを育てながら働く母親にとって、その言葉がどれほど心強かったことか。今でも忘れることができません。
その後、二十年間勤める会社でも、子どもが熱を出して迎えに行くことは何度もありました。もちろん、その会社も「早く帰りなさい」と言ってくださる会社でした。
でも、大切な仕事を任せてもらっていた分、
「この仕事だけ終わらせてから。」
そう思うことも少なくありませんでした。
責任が増えたからこその葛藤です。
でも、この一年だけは少し違いました。
「早く行ったげ。」
その言葉が、ごく自然に飛び交う職場でした。子どもを優先することが、特別なことではありませんでした。
そんな当たり前だけれど、一番大切なことを教えてくれた場所だったのです。
第4章|「一回、受けてみ。」が人生を変えた
その職場には、もう一人、忘れられない女性がおられました。いつも穏やかで、仕事中もよく声を掛けてくださる方です。
「早いね。」
「丁寧やね。」
そんなふうに、小さな成長を自然に見つけてくださっていました。
ある日、その方が声を掛けてくださいました。
「孝子さん、一回、他社の面接受けてみ。」
聞けば、その会社は、ご自身も面接を受けたことがある会社でした。
「いい会社やから、一回受けてみたら。」
そう勧められて面接へ行かれたそうです。
「じゃあ、どうして行かなかったんですか。」
そう聞くと、笑いながら答えられました。
「私には合わへんと思ったんよ。」
同じ年代の方が多く働いていて、自分には少し違うと感じたそうです。
でも、そのあとに続いた言葉が忘れられません。
「でも、孝子さんには合うと思う。」
「一回、受けてみ。」
自分には合わなかった会社を、人には勧める。それは、自分ではなく、相手を見ていたからこそ出てきた言葉だったのだと思います。
その一言に背中を押され、面接を受けることにしました。
でも、正直なところ、受かるとは思っていませんでした。面接会場には何人もの応募者が来られていました。
三十代前半。保育園へ子どもを預けながら働く母親です。「こんな私を採ってくれる会社なんてない。」そんな気持ちの方が強かったことを覚えています。
だから、不思議なくらい緊張はありませんでした。「ご縁がなかったら、今の会社で頑張ろう。」そのくらいの気持ちでした。
ところが、ご縁をいただき、採用していただくことになります。そして、その会社で二十年間働くことになりました。
今振り返ると、人生は大きな決断だけで変わるものではありません。
「一回、受けてみ。」
その何気ない一言が、人生の景色を変えることがあります。
第5章|「どこへ行っても大丈夫」
二十年間勤めることになる会社への転職が決まり、おばあ様へ退職することをお伝えしました。
おばあ様は、とても驚いた表情をされました。
一年ほどしか勤めていませんでしたから、辞めるとは思っておられなかったのでしょう。
少しだけ寂しそうな表情をされたことを、今でも覚えています。
でも、それはほんの一瞬でした。
すぐにやさしい笑顔に戻られて、こう言ってくださいました。
「あなたが行きたいとこ行きなさい。」
引き止める言葉は、一つもありませんでした。そして、もう一つ。一生忘れることのない言葉を掛けてくださいました。
「孝子さんやったら、どこへ行っても大丈夫。」
その言葉を聞いた瞬間、胸が熱くなりました。一年という短い時間でした。でも、その一年の間、おばあ様は本当にたくさんのことを教えてくださいました。
「慌てんでええよ。」
「見てる人はちゃんと見てるから。」
「仕事は丁寧にね。」
言葉だけではありません。毎日そばで働き、その背中を見せてくださいました。だから、「どこへ行っても大丈夫。」という言葉には、大きな重みがありました。信じて送り出してくださったのです。
退職の日。
仕事を終え、会社を出ようとすると、おばあ様と、リーダーの中西さん、そして「一回、受けてみ。」と背中を押してくださった女性が、玄関まで見送りに来てくださいました。
今でも思い出すのは、その日の夕方です。
女性にとって、一番忙しい時間帯でした。
仕事が終われば、一分でも早く帰って夕飯の支度をしたい。家族が待っています。いつもなら、皆さん仕事が終わると足早に帰っていかれます。
それなのに、その日だけは違いました。
私を見送るために、帰らずに残っていてくださったのです。車は玄関から見える場所に停めてありました。
何度も頭を下げて車に乗り込み、ゆっくり走り出しました。バックミラーを見ると、三人はまだ玄関に立っておられます。
笑顔で手を振り続け、車が見えなくなる最後の最後まで、三人そろって深く頭を下げてくださいました。あの光景は、何十年経った今も忘れることができません。
一年しか勤めていない私を、こんなにも丁寧に送り出してくださった。仕事だけではありません。
人を育てること。
人を信じること。
人の未来を応援すること。
あの一年で教えていただいたものは、思っていたより、ずっと大きなものでした。
まとめ|受け取ったものを、次の誰かへ
あの日、おばあ様は言われました。
「見てる人はちゃんと見てるから。」
若かった頃は、その言葉の本当の意味を分かっていませんでした。でも今なら分かります。あの方は、仕事の結果ではなく、毎日の積み重ねを見てくださっていました。
失敗した日も。
焦っていた日も。
少しだけ成長できた日も。
全部、見てくださっていました。
だから今は、クライアントを見ています。
売上だけではありません。
結果だけでもありません。
勇気を出して踏み出した一歩。
昨日できなかったことが、
今日できるようになったこと。
誰にも気づかれない努力。
迷いながらも前へ進もうとしている姿。
その一つひとつを、ちゃんと見ています。
それが、今の仕事です。
有名な経営者から学んだこともあります。
本から学んだこともあります。
師匠と呼べる方との出会いもありました。
でも、本当に仕事を教えてくださったのは、一冊の本でも、有名な経営者でもありませんでした。名前を思い出せない、一人のおばあ様でした。名前は思い出せません。
でも、不思議と困らないのです。
私の中には、おばあ様の名前ではなく、
生き方が残っているからです。
だから今は、その仕事観をクライアントへつないでいます。受け取ったものを、次の誰かへ渡しているだけです。 ☕️💐
ここまで、
お読みいただき、
ありがとうございました☕️💐
💐はじめましての方へ
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Substack「夢かふぇ」。
店主の白石孝子です。
歴史、経済、世界の流れ。一般メディアではまだ大きく語られていないことを、カウンターで語りかけるように綴っていきます。
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白石孝子|たーちゃん
Takako Shiraishi
#17
苦味があって、深くて、飲み終わった後に何か残る。そんな記事をここで綴っています。無料購読で、次の一杯をお届けします☕️💐










白石さん、おはようございます✨
とても学び多い環境だったのですね😌
そういった方に学べたこと、とても羨ましく感じます。
そして偶然ですが、僕も「丁寧に急ぐ」という結論に最近達したところでして🤭
不思議なご縁を感じる記事でした🙏
名前は残らなくても、手つきや言葉は残るのですね。「仕事は丁寧にね」が、時間を越えて今の仕事にまで届いている感じが、とても好きです。