Story
人生は、何度でも選び直せる。
はじめに
はじめまして。白石孝子(たーちゃん)です。
この場所では、SNSでは書ききれないことを、少しゆっくりと言葉にしていこうと思っています。
今日は、私がなぜ、今の仕事をするようになったのか。
少しだけ、これまでの人生のお話を書いてみようと思います。
今の仕事について
〜AI時代に、人の感覚を整えるということ〜
現在は、起業家の方々を中心に、発信や在り方、ビジネスの整え方について、コンサルティングやビジネスコーチングを行っています。
最近は、AIを活用した発信や働き方についてのご相談も増えてきました。
AIの時代になっても、最後に人の心に残るのは、“その人らしさ”なのだと思っています。
言葉の温度。空気感。在り方。
そういうものは、人生や経験の中から生まれるものだからです。
私は、起業家の方々が、自分らしさを失わずに働いていけるよう、伴走することを大切にしています。
三人の介護をしていた頃
私はこれまで、仕事をしながら、同時に三人の介護をしていた時期があります。
実の父。義理の父。そして、義理の母。
一人は病院。もう一人も病院。そして一人は施設。
奈良と大阪を、毎日、三角形を描くように走り続けていました。
仕事が終わってから向かうので、帰りはいつも夜でした。
家まで辿り着けないほど疲れてしまって、サービスエリアや、コンビニの駐車場で、そのまま車の中で眠ってしまうことも、何度もありました。
今思えば、あの頃の私は、本当にボロボロだったんだと思います。
義理の母の言葉
その中でも、義理の母の存在は、今の私の人生を大きく変えました。
義理の母には娘がいなくて、本当の娘のように、いつも可愛がっていただきました。
ここからは、「義理の母」ではなく、いつものように「お母さん」と書かせてください。
お母さんは、昔、警察署で事務職員として働いていました。でも、嫁いだ時代は、女性が自由に働き続けられる時代ではありませんでした。
だから、お母さんは、何度も私に言っていたんです。
「もっと仕事したかったわ」って。
まだ、お母さんがちゃんと言葉を話せる頃。病院のベッドの上で、私に、こんなことを言ってくれました。
「たかこちゃん。もう十分やってくれてるから。たかこちゃんは、たかこちゃんの人生を生きなさい」って。
私は、その言葉が、ずっと忘れられませんでした。そして、お母さんの姿を見ながら、強く思ったんです。
もう、自分の人生を諦める人を、増やしたくない、と。
介護があっても。家族のことがあっても。年齢を重ねても。自分の人生を諦めず、美しく、自分らしく、生きていてほしい。
その想いが、今の仕事につながっています。
起業という決意
私は出産後も働き続け、約30年間、会社員として仕事をしてきました。
でも、介護と仕事を両立する現実の中で、少しずつ思うようになったんです。
もっと自由に働ける生き方が必要なんじゃないか、と。
義理の母の状態が、少しずつ悪くなっていく中で、私は少しずつ起業の準備を始めました。
平成から令和へ
〜第三の人生が始まった日〜
離婚届を出したのは、平成から令和へ時代が変わる頃でした。
令和婚で、婚姻届を持った若い人たちが、市役所にたくさん並んでいました。その横で私は、離婚届を持って立っていました。
受付の方が、笑顔で、
「おめでとうございます」
と言ってくださったんです。
一瞬、え?と思いました。
すると周りの方が笑いながら、
「それ、離婚届やで」って。
私も、思わず笑ってしまいました。でも、なぜかその時、私はその言葉を、ありがたく受け取ったんです。
「あぁ、私の人生、ここから始まるんだな」って。
そのあと車に戻って、令和に変わってすぐ、私はメンターへメッセージを送りました。「離婚しました。これからもよろしくお願いします」。
すると先生は、短く、
「これからやな」
と返してくださいました。
その一言で、私の中の覚悟が、完全に決まった気がしています。今思えば、あの日から、私の第三の人生が始まったのだと思います。
会社員時代に教わったこと
〜大阪商人と近江商人の教え〜
20年ほど勤めた会社でも、社長や会長に本当によくしていただきました。
若い頃から、たくさんの経営者の方々と出会わせていただき、商売のこと、人との関わり方、経営者の感覚を、近くで見せていただいてきました。
でも、今振り返って一番印象に残っているのは、「成功している人ほど、人として温かかった」ということです。
特に会長は、よく大阪商人や近江商人のお話をしてくださいました。
「信用で仕事をすること」
「ご縁を大切にすること」
「目先ではなく、長く続く関係を築くこと」
若い頃は、正直、そこまで深くわかっていなかったと思います。
でも今になって、その教えが、全部今の仕事につながっている気がしています。
メンターとの出会い
〜「成功者の感覚」を教わった日々〜
起業してからは、たくさんの経営者や実業家の方々と出会うようになりました。
その中で、メンターからは、本当に細かなことまで教えていただきました。
靴の揃え方。食事の場での振る舞い。言葉の選び方。空気感。
今思えば、先生は「成功者の感覚」を、徹底的に教えてくださっていたのだと思います。
当時は、正直、私には、かなり厳しかったです。
私は30年ほど会社勤めをしてきましたし、社会人としてのマナーも、それなりに学んできたつもりでした。
でも先生が教えてくださっていたのは、一般的なマナーではありませんでした。
成功者が、どこを見て、どんな基準で人を見ているのか。
どんな空気感で人と接しているのか。
私は、その厳しさの中で、
「これが成功者の感覚なんだ」
と、ひしひしと感じていました。
今思えば、先生に教えていただいたことが、今の仕事に本当に役立っています。
そして今は、その時に教わった「人との向き合い方」や、「成功者の基準」を、クライアントの方々にもお伝えしています。
ご縁をいただいた方が、長く信頼され、自分らしく働いていけるように。
私にとって、それは「恩送り」だと思っています。
参謀という役割
私は、ご縁をいただいた方には、本当に幸せになってほしいと思っています。
男女問わず、関わってくださった方が、自分らしく仕事をし、人生を前へ進めていかれる姿を見るのが、とても好きなんです。
特に、今この時代を支えている40代、50代の方々は、社会の中心にいる世代だと思っています。
だからこそ、一人一人が整い、力を持ち、自分らしく働いていくことは、その先にいる人たちを支えることにも、つながっていく気がしています。
私は、前に立って引っ張っていくというより、その方が、自分らしく前へ進めるように、横から、そして後ろから支える存在でありたいと思っています。
昔から、どんな時代も、大きく前へ進む人のそばには、支える人がいました。
今の経営者の方々にも、必ず信頼して相談できる存在がいるように、人は一人では、大きな挑戦を続けていけないのだと思います。
私は、そんな「参謀」のような立場で、ご縁をいただいた方の人生や仕事を支えていきたいと思っています。
コロナ禍の「夢かふぇ」
起業したあと、私の人生を大きく変えた場所があります。
それが、コロナ禍でのClubhouse「夢かふぇ」というルームでした。
「夢かふぇ」という名前をつけてくださったのも、メンターでした。
私は、1111回目を迎えるまでは、毎日スピーチを続けました。およそ3年間、毎日です。
ありがたいことに、経営者の方々だけでなく、著名な方々にも来ていただけました。
そして現在も、週に1回、お話を続けています。気がつけば、「夢かふぇ」は丸5年になりました。
さらに、オープンチャットでも週に1回お話しているので、今も週2回、自分の言葉でLive配信を続けています。
夢かふぇでは、本当にたくさんの方のお話を聞かせていただきました。
人生のこと。仕事のこと。人間関係。お金のこと。これからの時代のこと。
気がつけば、Clubhouseだけでも、5,000人以上の方々と、一対一でお話しできたと思います。
私は、その場で、一人一人と向き合いながら、ずっと言葉を磨かせていただいてきた気がしています。
どれだけ人数が増えても、一人一人と丁寧に向き合いたい。その想いだけは、ずっと変わりませんでした。
今思えば、コーチングも、コンサルティングも、あの場所で、Liveの現場を通して鍛えていただいたのだと思います。
これから、この場所で
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
これからこの場所では、人生のこと、働き方のこと、発信やAIのこと。
そして、日本の歴史や経済、世界情勢についても、私なりの視点で、静かに考察していきたいと思っています。
情報が溢れる時代だからこそ、「何を受け取り、どう考えるか」が、これからますます大切になっていく気がしています。
言葉を通して、あなたの人生や仕事を、そっと支えていけたら嬉しいです。
これから、よろしくお願いいたします。
白石孝子(たーちゃん)




孝子さん、少しお久しぶりです🌺
夢かふぇにお邪魔できる機会が減ってしまっている今日この頃ですが、夢かふぇでお話させていただいたことと今の世界情勢を重ねることが多い日々です🌏🕊️
季節の変わり目ですので、どうぞくれぐれもご自愛くださいませ☕️🧁
孝子さんの投稿をきっかけにSubstackを始めました。
孝子さんの歩みの一部をここで知り、感銘を受けました。
こちらでも学ばせていただきます。